1955年の広島カープに入団した日系アメリカ人選手のはなし
実に1ヶ月ぶりのブログです。
この1ヶ月間、何してたかはまた別の記事で書くとして
今回は、
アメリカのカリフォルニア在住の60代のご夫婦と、
スイス在住の彼らの娘さん&ドイツ人の旦那さんです。
(結婚年齢の話から)
ママ:日本ではなかなか結婚せずに
両親と同居する人も多いと聞いたけど、本当なの?
わたし:そうですね、そういう子供達のことを
パラサイト・チャイルドなんて呼んだりしてます。
ママ:それ、すごく面白いわね!!
アメリカにはパラサイト・チャイルドは
あまりいないけど、その代わり
ヘリコプター・ペアレントがいるわよ。
わたし:は?ヘリコプター・ペアレントって何ですか?
ママ:子供のことを放っておけなくて
ヘリコプターがグルグル旋回するみたいに
子供の上をグルグル飛び回る親、よ。
過保護な親、のことね。
ドイツ人夫:ヨーロッパというかイタリアでは
「マモーニ mammoni」がいるよ。
ママっ子の男のことをマモーニ、っていうんだ。
マモーニは結構多いんだよ。
結婚するまで実家にいてママと仲良しの息子。どう思う?
わたし:へー、なるほど!
マモーニ、可愛いじゃないですか、
自分の家に息子がいて、ママっ子だったら可愛いな。
でも、自分の夫が激しいマモーニだったら嫌かも笑
アメリカ人妻:わたしもマモーニは御免だわ笑
(プロ野球の話題から)
パパ:広島カープに昔、フィーバー平山という
日系アメリカ人の選手がいたのを知ってる?
1955年にカープに入団したんだけど。
わたし:フィーバー平山、、う〜ん、知らないです。
1955年なんて相当古いですね。
どんな人ですか?
パパ:フィーバー平山は、
僕らが住んでいるカリフォルニア州の
フレズノの近くの村の出身でね。
彼は第二次世界大戦中、
まだ子供だったけれども日系人だというせいで
relocation camp(日系人の収容所)に
入れられていた。
戦争が終わってそこから戻ってきたときにはもう、
フィーバーは高校生になっていて、
大きくなったねぇ!!とみんなビックリした、
という話を僕の両親から聞いているよ。
フィーバー平山は野球がうまくて、
僕らのコミュニティーの中では有名人で人気者だった。
その彼が戦後の1955年に広島カープに入団したんだ。
活躍したと聞いているよ。
彼は今でも僕たちのコミュニティにいるんだよ。
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家に帰ってフィーバー平山を調べてみました。
本名は平山智(ひらやま・さとし)さん、だそうです。
わたしは割と熱心なカープファンなのですが、
平山智さん、全く知らず、恥ずかしかったです。
彼はカープのコーチも務め、
退団後はカープのスカウトも務め、
今、89歳なのですが、
なんとまだカープの嘱託のスカウトを
務めていらっしゃるそうです。
まだ現役だった頃に、当時沖縄にいた
フィーバー平山だったそうです。
当時沖縄に行くにはパスポートが必要でしたが
フィーバー平山はアメリカ国籍だったので
他のスカウトよりも早く沖縄に行くことができて
安仁屋宗八のスカウトに成功したそうです。
すごいな、フィーバー平山。